2024/05/06

2024/05/06

 明日までの課題が終わってない。手もつけてない。疲れた。

 自分の日常を数百字で毎日書いてる。気がつくと「疲れた」「頑張ろう」「乗り切ろう」を連呼していて、なんだか自分もつまらない人間になってしまったと思った。何にでもなれるはずだったのにね。超えたい人がたくさんいる、と豪語していた自分が可哀想になってきます。

 明日は絶対大学に行かなきゃいけない。そろそろちゃんと春休みと区切りをつけて新しい学期を始めたほうがいい。ずっとダラダラしてるだけの生活から逃げたい。何から逃げているのかよくわからなくなってくる。

 今日、PLAZAの前を通りかかった。不仲の父にその店舗で誕生日プレゼントを買ったことがある。既製品のびっくり箱。開けると動物が勢いよく飛び出してきて、わたしの代わりにハッピーバースデーの曲を歌ってくれる。小学生の時に渡したそれは高校生の時リビングのゴミ箱に捨てられた。きっとおもちゃの仕掛けが壊れていたのだと思う。わたしは父のことをひどい人間だとずっと思っているにも関わらず、自分で誕生日プレゼントを渡して、数年後それを捨てられて勝手に悲しんでいた。せめて大事にしてくれてもよかったのにと思った。そんなことを思うぐらいなら自分から現状を変えればいいのに。ゴミ箱から救出したおもちゃは今でもわたしの部屋の引き出しに眠っている。

 今日は散々迷った挙句1人でチェーン店で寿司を食べた。今までは何か嫌なことがあるたびに散財するなんてどうかしていると思っていたのだけど、そんなことで明日も生きていけるなら安いもんかと思うようになった。1食1600円。1人で。高いね。日焼け止めも除光液も買った。偶然見かけた母の日のポップに感化されて、母にハンカチをプレゼントした。喜んでくれたのが嬉しかった。

 好きな人の声に感動できなかった。情報をしっかりと追わなかったわたしが悪いのか、わたしの今の精神状態が悪いのか、テレビに興味を持てなくなった家庭環境が悪いのか。とにかく好きな人の声に感動できなかった。声を聞いても歌を聞いても何も思わなかった。その人の歴史から考えるに今回の歌はファンにとってもアーティスト本人にとっても大きな意味を持つものになるはずだった。その大切な声に感動できなかった。わたしその人のこと好きなのに。

 定期的に置いていかれるような感覚に陥る。全部をずっと100%の熱量で応援し続けられないのはもうじゅうぶんにわかっているから、自分が可能な範囲で応援していようと決めていた。その結果がこうだ。とにかく疲れた。好きな人の声を聞いて感情が動かないのも、昨日のことを考えて憂鬱な気分になるのも、終わっていない課題を思い出して自分のミスに気づくのも、今からシャワーを浴びなければいけないのも。疲れた。疲れた。疲れた!

 きっと本当に人生というのはつらい時間の方が長いのだと思う。つらくない時間は儚いほど一瞬なのに、その一瞬の思い出が深ければ深いほど、濃ければ濃いほど、わたしたちは人生に夢中になっていく。あの時間があるのだから、あの瞬間があるのだから自分たちはまだ大丈夫なのだと錯覚してしまう。わたしもそうだ。自分に対して酷い言葉を浴びせながらも人生に夢中になっている。なんだかんだ言って生きることが好きだ。今でも早く死ねばいいのにと思っている。でも生きることが好きだ。自分のことが大好きで大嫌いなように、生きていることも大好きで大嫌いだ。早く死んでほしいと思いながらまだまだ生きていてほしいと思う。その矛盾も許してしまうぐらい、わたしはわたしという人間を愛している。大嫌い。大好き。早く死んで。ずっと生きて。まだ自分に見せていない景色がある。見てほしい景色がある。それは6月のライブだったり、発表されてもいないツアーだったり、電車の窓から見える夜景だったり、久しぶりだと感じる夏の匂いだったり、布団から見る天井だったり、海の匂いだったり、深夜の雪だったり、とにかく今まで見てきたものや見てこなかったすべてを自分に見てほしい。そしてわたしも満を辞して死んでほしい。早く死ね。明日も頑張ろうね。